やすべえです。本日は、日本のマーケットの歴史をおさらいしようと思います。
日進月歩の世界で刻々と変化するマーケットにおいて、「果たして歴史など知る必要があるのでしょうか?」と質問されると返答に悩むのですが、少なくとも知っておいて損はないと言えます。マーケットは過去に起こった事と同じような事が起こります。過去にこういうことがありましたというのを「へぇ、そうですかぁ」くらいの感覚で知っておけば、マーケットで同じようなことが起こったときに上手く対応することが出来ます。下図は日本を代表する指数である225銘柄からなる日経平均株価のチャートです。それでは歴史を少し紐解いてみましょう!
(1984年からの日経平均株価の推移)
Yahoo! Finance(http://finance.yahoo.com/quote/%5EN225/history?p=%5EN225)より筆者作成
まずは1990年あたりまでの非常に急激な上昇局面についてですが、ご存知の方も多いと思いますけど、バブル景気と言われています。簡単に説明してしまうと、過剰な融資や過剰な投資で株式や不動産の価値が実態とかけ離れたものとなってしまい、それが加速していき、ついには支えきれなくなったという現象です。バブル景気の後期には東京都の山手線内の土地の価格の合計がアメリカ全土の土地の価格の合計を上回ったなどと言われました。経済状況としては1985年9月にプラザ合意と言うのですが、世界的に円高に誘導するような合意が行われて、1ドル240円程度だった為替レートが1年後には1ドル150円程度まで円高に推移したり、原油の価格が下がったことあり、日本のモノの買う力は非常に高まっていたと振り返ることが出来ます。そんな中でバブルを引き起こした過剰な融資をいつか止めなければいけないというのはわかっていたのですが、総量規制や、金融の引き締めが遅れたりしたことが、のちの傷跡を深くしたと言われています。
その後は「失われた10年」と言われ、さらに最近までは「失われた20年」と言われていました。「失われた10年」の後には「IT景気」というものがありました。これはアメリカにおけるインターネット革命、ドットコムバブルが日本へ波及したものですが、アメリカではグーグルやアマゾンといった今ではアメリカを代表するような企業が成長した時期であり、日本ではソフトバンクや楽天などがこの時期に成長を続けました。ただ日経平均株価の上昇幅はアメリカと比べると小さなものとなりました。
この「IT景気」のさなかの2000年4月に日経平均株価指数を構成する225銘柄のうちの30銘柄が入れ替えになるという「ちょっとした事件」がありました。当時の日経平均は「IT景気」とは関係のない重厚長大な古い企業が多く、このITがリードしている産業構造の変化の中で日経平均は世の中の動きにフィットしていないという問題を抱えていました。その問題を解決すべく、日経平均は構成銘柄を大幅に入れ替えることになりました。
構成銘柄を入れ替えるだけでは「事件」にはならないのですが、新しく採用される30銘柄が発表されてから先回りの買いでどんどんと暴騰してしまって、新しい225銘柄での算出に変わった直後にその新しい30銘柄が天井をつけて大きく下落してしまって、日経平均自体がそれらの銘柄のせいで下落してしまうという「事件」が発生してしまいました。もし225銘柄が昔の銘柄のままだった場合の指数と、30銘柄入れ替えた後の225銘柄の指数では、大きな乖離が発生していました。難しい言葉でいうと「指数の連続性」と言うんですが、それが崩れてしまったのです。「事件」でした。当時の大蔵大臣の宮澤喜一さんや経済企画庁長官の堺屋太一さんがそれを公然と批判していました。
次回に続きます。